擬人化で科学を説明する光と影

個人的には全く覚えていないのですが、小学校の時の国語のテストにあったという”この時の作者の気持ちを考えましょう”は、いかにも行儀の良い正解とはよそに、”実際その時、作者は全く別のことを考えていた”としてよくネタにされます。

しかし、世の中”相手の気持を考えるスキル”はとても重要ですから、(できるかどうかは別として)とても大切な勉強です。

そして、大抵の人は”相手の気持を考えることができる”という前提では、何かを人に例えて説明する”擬人化”は、有効な説明方法です。

すあなサイエンスで制作するマンガにも、何かを擬人化して説明することは少なからずあります。実際に意思を持っている訳ではない対象物、例えば電子なんかも、一定の願望や性質を持った”電子さん”のとる”行動”として説明すると、解りやすくなったりします。

ところが、擬人化しての説明には問題もあるそうです。

教育学部の大学院を卒業して、今は小学校の先生として働く方にお伺いしたのですが、理科を説明する時、この擬人化が妨げになることがあるそうです。

その方に教えてもらった例として、”お月さま”があります。
低学年の時、国語で”月はいつも付いてくる”という話をするそうです。暗い夜道を明るく照らすべく、いつも付き添ってくれる心強い存在、お月さま。なかなか素敵な話です。

しかし、もう少し学年が進むと、急に理科が”いや月って天体だし”と手のひらを返します。子どもはここで混乱してしまうそうです。

月は優しいから夜付いて来てくれるはずなのに、ただの岩の塊なの?という具合でしょうか。
私はあまりに昔のこと過ぎてもう覚えていないのですが…まあ、そういう風に考える子供がいても不思議というほどではありません。先に月を擬人化して教えてしまうことが、後に実際の月の理解の妨げになってしまう、という訳です。

ところでこの擬人化、子供だけの問題というわけでもないかもしれません。

例えば私自身、何かを”人”に例えることで、考えやすくしていることは多いように思います。
ニュースで国際問題を見ていると、国は擬人化して考えることが多いように感じます。アメリカさんや中国さんが居て、それぞれその人の目的に沿って動いている…ように考えてしまいますが、もちろん国は人の集団なので、そこまで統一された動きはしません。だから時として”予想外”の動きをして、びっくりするのではないでしょうか。

少し科学に近いところでは、”進化”も該当しそうです。
まるで”生物さん”は進化を望んでいて、その希望に基づいて進化した、という誤解をしてしまいそうです。実際には多分”塩を水に入れてかき混ぜたら溶けた”に近くて、そういう性質があったので、時間をかけたらそうなっただけなのでしょうが…なんとなく意思があると想像してしまいます。

こんな風に、ただでさえ人に置き換えて考えがちなのが人ですから、科学を説明する時に擬人化を使うと、余計に心配かもしれません。

ただ、それでもすあなサイエンスのマンガでは擬人化を使います。解りやすさは興味を持ってもらうのに必要なことです。本人が興味さえ持ってくれれば、いずれハムスターの生態について詳しく調べ、”本当はハムスターはしゃべらない”と解ってくれると思う…

ああ、そこは大丈夫ですよね、流石に。

あ、そうそう、みねハムはハムスターなんですよ。大きさがカピバラくらいありますが、ハムスターです。実際のハムスターと人間は大きさに差がありすぎて同時に描写が難しいので、みねハムさんはコマごとに、絵的に都合が良いサイズに大きくなったり小さくなったりします。

質量保存の法則?

そこも大丈夫でしょう…多分。

サイエンスイラストレーター・サイエンスマンガ家 かつとあつと